どうでも良い場所のこれまたどうでも良いパーツを
何故か交換したくなる気持ちが自然と湧き上がります。
抑えれば抑えるほどに逆に熱くそれらのパーツを装着してみたくもなります。
アフターマーケットにてそれらの素敵なパーツがこの世に存在しているのが許せません。
存在を知ってしまえば、これまたどうしても意識してしまうのです。
雑誌やカタログに掲載されたこれらの細かいアフターパーツが嫌でも目に飛び込んできます。
これくらいの小さな部品すら迷っていて決められないのか?
と決断力の鈍い自分自身が時々嫌になります。
確かに見渡せば1個1個はたいした事は御座いませんが、
単品購入で許されるソロ部品でもあるまいし
右と左、もしくは前と後ろへと関連性を持ってジグゾーピースのように繫がっていきます。
危険なモディファイ思想はこうしてウィルス感染の如く
次から次へと欲しいものが関連して永遠にジョイントしていくところで御座います。
それらのパーツは交換することによって意味があるのかと聞かれれば答えは単純にNOです。
今スグに必要な部品でないからこそ逆に大きな魅力があるのかも知れません。
この場合は抽象的では御座いますが、小さな自分らしさの追求とでも表現しておきましょう!
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